船舶装甲板の歴史は意外と新しい。(織田信長の鉄甲船などは今回は扱わない。)
1850年代程度から始まっている。
現代、近代の砲彈やミサイル飛び交う戦場をイメージする我々としては信じられない
かもしれない。
だが今のように有効かつ強力な攻撃手段がなかった時代には船体の防御というのはそれ程
考えられる物では無かった、洋上における攻撃手段はせいぜいが矢や礫。船体を守る必要は
それ程でもなく、むしろ人間が負傷しない方に考慮されるものであった。
マッチロックやフリントロックの銃が現れても、厚い木材等で防げたのである。
(むしろ火災の方が問題、木造なので。)
また、船とは破壊・撃沈させるモノではなく切り込みを行い制圧するもの、奪うものであっても
沈めるものでは無かった事も大きいのかもしれない。
(https://camerainthesun.com/?p=27295)
「ギリシア火」(πῦρ θαλάσσιον/sea fire)
バリスタとか投石器よりもこっちのが怖い
船の動力が人力から帆走・初期の蒸気機関になり、黒色火薬を扱う大砲が装備され始めても
余り状況は変わらなかった。でかでかと掲げられた帆を守る手段などないに等しく、
そもそも大砲も球形の石や鉄の弾を打ち出すモノで其れほど脅威では無かった事も大きい。
(黒色火薬では燃焼が速すぎ、砲身内で十分な加速を得られないため)
当たった場所の構造物は破壊されても沈むほどではなく、決定打になりえない、そして
当時それ程海戦が続く事は稀であった。
また、鹵獲した敵船は褒章、賞金等の対象だったため沈める方が損であった事も大いに
関係があるだろう。